春来たる君の軌跡

統合失調症を発症するも回復し、日々前向きを目指しているお兄さんです。

春来たる君の春2024

満開の弘前公園の桜を昨日元嫁さんと見てきた。桜の木の下でにっこり笑って純真さのある彼女の写真も残せて、またひとつ春の思い出を増やせた幸せ感の余韻で目覚めた朝。 

そんな中でも気掛かりはまだ就職が決まっていないことで、思考が仕事のことを考えることが大部分になっていて僕が望んでいるものと違うものになっているのが嫌だ。 

職種を福祉系にしようと思っているのだが2法人不採用となってしまった。 

何がいけないのか、福祉の経験がほぼないことと長く続いた職歴が特にないのも採用に至らないのかもしれない。 

以前実習の話にもなったが断ってしまった病院の看護助手の仕事が悔やまれてしまい、ハローワークの担当者にもう一度実習の機会を作ってもらえるか聞いてもらえるか頼んだので病院側からの返事待ちである。 

こうなるなら最初から実習をやってみれば良かったと思うし、僕は失敗が多い人生だとつくづく思う。 

ご縁ある人達とはいい関係ができるけど、ご縁がなかった場合でも、今のタイミングがご縁が無かった時なだけかもしれない。 

僕の人生を振り返ると、やはり元嫁さんとの出会いの縁が運命の通りだったのかもしれない。 

一度掴んだ幸せを失敗で逃して、その後悔のまま生きていくのは辛かった。 

寂しさを埋めるように自分らしくない振る舞いで夜な夜な遊び続けたのはちょうど一年前だった。 

離婚から1年半、本当に大切なものに気づいたし、人生の難しさも学ぶ日々。 

そこに夫婦という形ではないが元嫁さんがいてくれて、僕の傍で道がそれないように支えていてくれるから僕は進めている。 

時には僕が支えた時もあったであろう。 

きっと僕らにそのことを教えてくれる為に一度別れる運命だったのかもしれない。 

 

また幸せを掴みたいと強く思って、僕が落ちぶれずに済んだのは沢山の人のおかげだ。 

 

本当に大切なことって実はものすごく少ないのかもしれない。 

だが人生に貪欲になるとやはりお金と時間が必要になってくる。 

会いたい人もいるし行きたい場所もある。 

親にもなにかしてあげたいと思う。 

 

時間、仕事、お金、健康 

どれも大切だけど満たすには簡単にはいかないね。 

 

愛する人のことだけ考えていたいけどそうはいかないよね。 

 

青森は今、沢山の観光客、地元の人が桜を楽しみに訪れています。 

季節の移り変わりと共に時の早さも感じ、いずれ散る桜のような限りある時間の中、精一杯生きてやるぞ。

俺らしく

僕には覚悟が無かった。 

というかやはり狂人なのか。 

どこかで見たが、愚人は過去を狂人は未来を賢人は今を考えるとあったがそれは本当なのか。 

僕はわがままなのか我慢できないのか神経質なのか心配性なのか、その全てでいわゆる社会不適合と言われているものなのか。 

仕事三日目の朝に、その色々とごちゃごちゃした考えが一気に押し寄せてきてパニック気味になり不安になり会社を休む連絡をした。 

障害をオープンで行き、職場の人みんなが知っている状況で仕事をしていた。仕事を教えてくれる先輩も優しく丁寧に教えてくれていた。 

お客さんの車や、会社の車を運転する回数も多く神経を使って集中していたが、三日目で不安に襲われてきてしまい、落ち着いて仕事ができないと判断した僕は、能力不足ということで辞退させてもらうことにした。 

車関係の仕事を選ぶということは福祉の仕事を選ばないということになるが、僕には覚悟が無かった。もう一度福祉の仕事に携わりたい気持ちがあるまま、それをしないでいるのは生きづらいと思った。 

果たして今の僕は仕事をできる状態なのかというと不安になるところだが、先日書いていただいた主治医の意見書では一般での通常勤務可能とあるので、これは自信を持っていいことなのだが、一年前の自分とは違う心境の自分であり、穏やかではない現状である。 

元嫁さんや普段よく話している友人に心境を伝えると、理解もしてくれ主治医と相談して今後進んで行けばよいと言ってくれるが、この歳になってこの病気の難しさを身に染みて感じるようになった。 

20代の頃に勤めたA型作業所では、当時今の僕と同じ41歳くらいの統合失調症の同僚が口にした言葉を思い出した。 

「普通に仕事して行くことの難しさがあるんだ。ほんとに悔しい、悔しいんだけど続かないんだ」 

当時はその人の言葉を聞いて、よし!俺はまだ20代だし大丈夫だ!と思ったのだが、気が付くとその人の言った通り悔しい思いが多かった歳のとりかたをしていたことに気づいた。 

 

悔しい思いも多かったが結婚もすることもできたし元嫁さんとも仲良くしていただいている今は幸せなのかもしれない。 

 

ふとした時に気づく幸せ感とふとした時に感じる孤独感。 

この孤独感はきっと思い違いの感情なのだが昔からある。 

           

よっぽどのことがないと社会から孤立しないようにできているし守られているはずなのだが何故か追い詰められている心境になる。 

 

これは何故なのかわからない。育った環境が大きいとは思う。 

今度心理カウンセリングでも受ける必要があると思う。 

 

生きたいように生きればいいはずだし、なにを悩んでいるのか? 

また仕事辞めてしまったということにとらわれすぎていたことに気づいた。 

世間体?歳相応の生活? 

一億人いたら一億とおりの生き方じゃん。 

 

前回のブログで書いた目標は達成できなかったけどそれはそれ。 

次だよ次!! 

 

って感じで切り替えればいいだけのことだった。 

 

型にはまった人生なんて俺らしくないじゃん⁉ 

 

てことに気づいた22時。 

 

はぁ~サッパリした!ありがとう、ブログの力だ! 

 

おやすみー(*^^*) 

 

門出

目の前の霧が晴れたような気分。不透明な先が見えない狭い世界から抜け出し、新たな出会いへのワクワクと自分の可能性へのチャレンジ精神で明るい未来を見ているからか気持ちが澄んでいる。 

先日B型作業所への通所を終了して、面接3か所目では実習の話にもなったが、よく考えて直感で行きたい職場の方を選び4か所目で採用をいただけた。 

自動車関係の職場に決まったのだが将来的に整備士を取れるようにサポートもあるそうなので色々学びたいと思う。 

目標として、もう転職したくなく、長く同じところに勤めたいと思っている僕にとっては面接で感じた代表の人柄に身を託してみようと思い、悩み相談などあれば聞いてもらい、良い関係を築いてやっていきたいと思っている。 

元嫁さんと、友達、家族にも報告してみんな本当に喜んで応援してくれているので、期待に応えられるように頑張りたい。 

 

先日目にした一節に、「自立とは依存先を増やすことだ。何でも一人でしようとする人よりも上手に周囲の人たちに頼ることができる人の方が精神的に自立している。支柱が多い方が土台は安定する」とあった。この考えはその通りだと思うし、僕が出稼ぎに出た21歳の頃には思いもよらない言葉だった。 

職場、友人、家族、主治医などたくさんの人に頼りながら少しずつでも成長できる伸びしろはまだ僕にはあると思っているのでお世話になりながら成長したい。 

 

基本的な気持ちは30歳くらいと変わっていないし40代では性格的なものを変えるのは難しいかもしれないが、自分の性格と付き合っていくやり方は覚えてきたと思う。 

障害を持ち働くことができない人もいる世の中で、僕は仕事ができる状態にまで回復できたことを感謝している。 

特に両親は本当に心配した時期もあったであろうし、安心させるためにも継続して勤務しようと思う。 

少しずつゆっくり前へ、時には立ち止まりながら応援歌を聴き、ブログで整理しながら進んでいくぞ! 

意識を変える、今から変える

あの頃は良かった。自信に満ち溢れていた。 

だって自分が好きだったから。 

スタイルも良く、服も自分の感性で買い、良くオシャレだと言われたものだ。 

 

いつからだろう、自分の見た目、服装などにこだわらなくなっていたのは。 

 

周りの人からデブキャラ、ゆるキャラに扱われても気にならなくなっていて、受け入れてそれがネタとなることを少しおいしいと思っていた。 

 

僕は20歳のときにお腹が少し出たが21歳で仕事で痩せることができてそのまま24歳くらいまで体型はキープできたのだが、その時の自分が好きだった。 

きっと僕本来がかっこよくいたいとかかっこよく見られたいというのを持っている人なんだろうと思う。 

 

人のことを好きになる前に、自分のことを好きにならなくてはいけないと思った。 

 

意志が弱いんじゃない?とか人に流されるでしょ?とか言われることがあるし、僕には芯が弱い所がある。 

この芯の弱さは21歳の頃、自分の理想像を強く持ちながらたくましくなろうと仕事をしていた時にポキっと折れてしまい心に傷を負った。その経験から折れないようなしなやかに曲がる柔軟な芯というもを自分で作っていた。 

柔軟だから何にでも対応できそうに思えるがそうでもなく、いつの間にか自分というものを確立できずに40代に入っていたのだと思う。 

 

ごちゃごちゃ考えていると結局どうなりたいのかわからなくなるから、まずは食事の見直し、運動をする。から始めよう。 

今回は本気でやらなきゃますます自分が嫌いになってしまう。人って見た目も結構重要ですよね。 

 

本日、大谷翔平さんが結婚を発表したこともあり、男として、人として尊敬できるところがたくさんある彼と比べると僕はゆるキャラかあぁと情けなくもなり、こんなんじゃいかんと思い意識改革の執筆でした。頑張ってやるぞ!! 

ひとりごと

青森県の春もいよいよ近づいてきているような気候の日が多くなってきた近頃だが、僕の心はまだ晴ればれせずに、昨夜なんて鬱々としてしまいやっぱり生きるのは辛いことの方が多いよなあなんてマイナス思考になっていた。 

先日の介護補助の面接結果が出たのだが、不採用ということだった。 

気持ちを切り替えて次に挑むしかないのだが、自信がなくなり気味になっていた。 

人生なんて遊びなんだよ死ぬまでの。と考えたいが僕は遊び方が下手くそだ。 

生きてるだけで大したことだ、自分を褒めるんだ。と自分に言い聞かせなくてはいけない心境になって、頭がごちゃごちゃしてブログで整理しようと執筆している。 

友達に次にやりたい仕事は障害者求人だけどフルタイムだと話したら高望みしすぎと言われた。 

僕にフルタイムは無理なのかやってみなくてはわからないのだが、やってみてダメだったら傷つくのは僕だ。 

傷付くことを恐れては何もチャレンジできないし今までは恐れずにやって来たじゃないか! 

それでいいんだよ。傷ついてもまた立ち上がり次に挑んできた。進むしかないんだよな。 

一生懸命にやって疲れてしまったら少し休めばいいだけ。そしてまた進めばいいんだよな。 

休むことが許されない場所には行かなきゃいいだけだ。 

自分が壊れるまで働かなくてもいいし、そんなことは望まれていないのだから。 

 

きっと今まで上手くいかなかったのは環境が合っていなかっただけなんだよな。 

作業に問題なく、3年以上続いたA型事業所は勤務時間が合わなくステップアップで辞めたし、仕事が楽しくフルタイムで休まず働けていた宿直員は利用者の特性上知らず知らずのうちにストレスがかかっていて限界だったのだろうし。 

 

歩みを止めずに就職活動していたら自分に合った環境というものにきっと会えるだろう。 

 

何故あなたは障害を持ちながら成功できたの?と聞かれたときに僕の答えはきっとこうだろう。 

自分の可能性を信じて挑むことをやめなかった。ここまでくるのには数えきれない人々の関りがあり感謝している。諦めないこと。難しいけど、やる価値はあるよ!(^^)! 

僕とダウンタウン

ちょっと体調がいまいちだなあという気がして原因を探してみた。 

僕が好きなことは何だったけなあと。 

お酒かなあと思ったがそうでもなかった。 

テレビもつまらないしなあ、と思った時に答えが分かった。 

松本人志の問題だった。 

僕はダウンタウンが大好きで、特に松本人志が好きである。 

今回の週刊誌で出た問題は僕はあまり見ないようにしている。 

松本さんが戦おうとしているのだから真実が出て、また大きな笑いを作り出して帰ってくるのを待つしかないと思っているからだ。 

さかのぼると中学時代にダウンタウンガキの使いトークを見始めた。当時、青森県では日曜の昼にガキの使いやあらへんでが放送されていたのだが、昼ごはんを食べながら居間で見ていると二人のボケとツッコミでお客さんの爆笑をとる姿に、僕はなんだこの二人の大人は、凄いじゃないかと、食い入るように見て最初はまだ二人の笑いの凄さを理解しきれていなかったが次第に毎週見るのが楽しみになっていた。 

父も居間に居て一緒に見ていた時があるが松本さんが下ネタを言うと、父が笑いをこらえている姿が印象的で、この人もこういう笑いも好きなんだなと子供ながらに思っていた。 

HEY!HEY!HEY!も見るようになり、ますますダウンタウンにハマっていった。どんな大御所アーティスト相手でも面白すぎるトーク展開に持っていくし、新人アーティストにもインパクトを付けるお笑いで認知させるような技術は音楽番組としての革命的作品だと思い、ビデオテープに録画して何度も何度も繰り返して見ていた。 

ダウンタウンDXにもハマり、19歳の夜勤していた時の帰宅してからの楽しみは、前日録画したDXを見たり、ツボに入った話を何度も見返すことでオフタイムを有意義にして、仕事を頑張っていた。 

ごっつええ感じではまた深い思い出があり、僕の病状が現れていたときで、レンタルでビデオを借りてきて見ていたのだが、見ているうちにコントをリアルタイムで僕に見せている。昔の作品だけれども今でも通じるコントだろうと言わんばかりに、ごっつメンバーが披露してくれているという妄想の中にいた。 

入院中の妄想でいうと入院している病室に松本人志が会いに来て僕に挨拶に来るという誇大妄想の経験もあるが、この辺の話は健常者では理解し難いだろうからこのくらいにしておく。 

 

YouTubeでまとめられたガキの使いトークを聞きながらの執筆となりましたが二人の生きざまのトークを聞くと、笑いと感動で心動かされ、感謝の涙さえも出そうになる。 

 

僕の人生で必要な笑いを作ってくれた二人に敬意を込めて。 

頑張ってくださいね!!! 

バイブルから

ふと一日の振り返りをしたり、気分転換をしようと音楽を聴いたりするために僕はパソコンを使うことが多い。 

大切なことに気付く場所はデスクの前ではなくて、いつも青空の下だった。という旅人もいるだろうが、僕が大切なことに気付くのはパソコンの前が多い。 

僕は何を欲しているのか 

誰を愛しているのか 

どう生きたいのか 

考えたり感じたりするのに、このブログ作成を使っている。 

元嫁さんのことを書いて、元嫁さんも読んでくれて僕の思いのたけを伝えることができたのも本当に良かった。 

それは復縁できたとかそういう話ではないのだが、君の為に生きたということをわかってもらえて喜びを感じることができたからだ。 

僕の人生のバイブルにしている高橋歩さんの本にこういう言葉がある。 

 

誰かの「ひとこと」で、急に幸せな気分になるときがある。 

誰かの「ひとこと」で、完全に人生が変わる人もいる。 

誰かの「ひとこと」を支えに、一生を生きていく人もいる。 

ヒトツヒトツ ノ コトバ ニ アイヲ。 

すっごく難しいけど、 

それが一番シンプルで、一番大きな優しさの表現方法かもしれない 

 

この6行の文章が僕のブログで伝えたいことや、日常で伝えたい言葉の参考にしているものだ。 

世の中には無数の書物があり、全く新しい表現をするのは難しいかもしれない。 

でも僕だからできる表現もきっとあるだろと思うし、新しいものもまだ生み出せるはずだと思い、パソコンに向かっている。 

 

あの日、高橋歩さんの本に出会ってから僕の人生は大きく変わった。 

僕の過去ブログにある、ターニングポイントの辺りにその本に出会った。 

感受性が強い時期で、その本の言葉のように、男として仕事への取り組み方はこうだ! 

時間の使い方、人生の向き合い方はこうだ!など頭の中で常に考えていた。 

 

仕事の難しさを体感しながら様々なストレスの中で自分というものを確立しようと必死だった。 

世の中の同世代では大学生で合コンを楽しんだり、社会人で仕事を始めて3年目くらいで慣れてきて楽しい時期を過ごしている人が大半であろう時代だ。 

中には僕と同じような考えで生きていた人も少なからず居たとは思う。 

僕は背伸びをしすぎていたのだろう。もっとゆっくり成長すればよいものを先急いでしまった。 

何のものでも度を越えるといけないとは本当のことだ。 

僕はパンクしてしまった。 

 

素直すぎてしまったのかもしれない。 

もっと適当に、ちょうどよく物事を取り入れることができていたなら。 

 

僕が高橋歩さんの本の最後の最後の方の一節に気付いたのは病気になって数年後にもう一度本を読もうとしたあの時だった。 

 

この本ほど身勝手な本はない。 

この本に書かれていることを、そのまま信じないほうがいい。 

書かれていることは、すべて逆の意味かもしれないから。 

 

ある島国に暮らす老人の言葉 

 

と書いてあったのだ。あの頃この一節に気付いていたならばそれほど本にのめり込まなかったのかもしれない。 

しかし、今40代になり心の奥底にあるのは高橋歩さんの本の言葉たちであり、それは今でも心を熱くするもので、僕には必要なものであるに違いない。 

僕の人生で出会うべくして出会ったものだと思う。 

 

統合失調症の原因は今の医学でも解明されてはいないが、運命というものは僕はあると思っている。 

今、僕は運命でこのような形で自分を表現している気がする。 

 

僕が高橋歩さんの本の言葉で印象に残っている言葉がある。 

 

本当に強い人って、あったかくてやわらかいんだよなあ 

 

この一言で僕がイメージしたあったかくてやわらかいひとに僕は近づけているのかな 

僕も誰かの中で生きる表現者になりたいな。 

ゆっくりやっていくぞ、またね。