春来たる君の軌跡

統合失調症を発症するも回復し、日々前向きを目指しているお兄さんです。

何が好き?

昨日の晩、友達と飲みに出た。10年近くの付き合いになる同い年ママの店にした。 

そこで顔なじみの客に笑わせてもらったりして、ほろ酔いになり気分よく飲んでいると、ママと仕事の話になった。 

はるきにはずっと前から言ってるけど内職しか向かないと思う、 

人にどう言われたとか気にしてしまうし、変に向上心持って今のままじゃ嫌とか言って辞めちゃうし、慣れてきたら飽きてしまったと言うし、人と関わるの無理だと思う。と言われた。 

確かにその通りだと思った。長年の付き合いで僕のことをわかっていた。 

内職というか在宅ワークならどうかとも思ったが、それを隣で聞いていた友達はブロガーになるしかないなと言った。 

ブロガーで生活していけたら一番幸せと思う。  

果たして本業になることはあるのか。 

でも文章で勝負するという世界はとても面白そうだと思う。 

過去の自分のブログを読み返すと非常に読みにくい所もあるし読みやすく修正していこうと思っているので、一つの作品づくりに取り組む意欲が僕にはあるのだなあと思ったりする。 

 

先日のブログで書いた介護補助の求人は書類選考を通過して来週面接になった。 

馴染みのママから言われたように対人関係には苦手な部分もあったが、それは過去の僕かもしれない。 

今の僕はデイケアを利用しに来た利用者が話したいことを聞いてあげたいとか気持ちに寄り添ってあげたいという思いがあるので、この気持ちを素直に伝え、面接突破したいと思います。 

 

ブログも好き。実は人との関りも好き。仕事も好き。恋愛も好き。 

好きなことで暮していくぞ(*^^*) 

生きてく、暮らしてく

心の声に正直に。そう思って、春先の目標を考えた。 

今お世話になっている会社でステップアップとして常用雇用してくれるのか一人で考えていても先へは進まないということはわかっている。 

なぜそんなに急ぐのかと思う人もいるかもしれないが実際に今の暮らしをし始めて色々と思うことが出てきた。 

会社と家までの送迎車の中からこの町並みを見ていると昔は思わなかった感情が沸いてきた。 

それはいい感情ではなく、この町を嫌いになっているという悲しい感情だった。 

都会の華やかで色んな人を惹きつけようとするワクワクするような町並みとは違い、魅力的に思える建物もワクワクするようなものもないなあと気持ちが落ちこんでしまうようになった。 

交通手段にも不便するし、車が無いとこんなにも気持ちの変化があるものなのだなあと体感した。 

人生で車が無いのは二度目だが、今回は免許がないわけではない。だが車を買って維持する為にはある程度収入が必要なので目標高く、そして心の余裕の為にもお金を稼ぎたいと思うようになった。 

さて、なんの仕事で収入を得るかが問題になってくる。 

一つは今の会社でシードル作りか、温泉施設のスタッフになるか。これは単純に面白そうかなと思う。地元の特産品のりんごを使ったお酒造りだし、なかなか無い職種で魅力があり楽しみも感じることができそうだと想像する。温泉スタッフ部門でも宴会の準備や片付けなど仕事はあるだろうし、頑張ってやるので僕を使ってほしいと思っている。 

今のB型作業所の評価でいくであろうし今の仕事を頑張り、認められたらという未定の話ではあるが不可能ではないと思っている。 

もう一つは障害者求人であった介護補助の仕事。ここは去年12月に職場見学に行ってきたのだが、利用者への直接の介護はなく、お世話をできることでするというもの。 

食事のおしぼりを出したりお茶をだしたり上げ膳や洗い物などする仕事。見学の際の職員さんもとても良くしていただき、利用者の方々の雰囲気も見てやってみたいと思った。 

先日出会った介護福祉士の方が教えてくれたことがある。 

自分の身体や考えが思い通りにいかないとき、そのストレスは誰にあたりますか? 

お酒を飲みに行って友達に愚痴も吐けません。 

ブログで考えも伝えることができません。 

誰とも悩みを話せない人もいます。 

携帯もできない人もいます。 

それが、人に力を借りないと生きていけない老人なんです。 

だからあの人たちは、介護士などにあたります。と教えてくれた。 

それを聞いて立場を考えればストレスも無くなりおじいちゃんおばあちゃんと寄り添って仕事できることに楽しみもあるだろうと思った。 

 

このどちらかを目標に、お金の必要な世の中なので僕は仕事をする。 

将来お金のいらない世界になるのだろうか。その世界はまだ僕には見えない。 

以前好きだった町並みはきっと心穏やかに好きな人と暮らしていて好きな町だと思っていたのだろう。 

決して悪い町でもなく、むしろいい人が多いしこの町の住人の僕はこの町の未来をどうしようかと考えて、いい町づくりに協力していこうと思う。 

 

震災も多い国なので、もしもの時は地域で寄り添う気持ちで暮らしましょう。 

 

このたびの災害に対し、心よりお見舞い申し上げます。 

皆様の一日も早いご再建をお祈りいたします。 

正月の思い2024

新春のお慶び申し上げます。 

年末忘年会で長渕剛のしゃぼん玉を大勢の前で歌い、専務から上手いなあとお褒めの言葉を頂き、元日に元嫁さんとカラオケに行ってしゃぼん玉を伸び伸びと歌い、その日の夜に実家でしゃぼん玉をまた披露して家族からも今までで一番いいと思うと好評を得て、年末年始気分は長渕で過ごしていました。 

 

人生が少しだけ うるさくなってきたけど 逃げ場所のない覚悟が 夢に変わった 

帰りたいけど帰れない もどりたいけどもどれない そう考えたら俺も 涙が出てきたよ 

くじけないで なげかないで うらまないで とばそうよ あの時笑って作った  

しゃぼん玉のように 

 

あの時の真っ直ぐだった瞳のまま僕は物事を見れているだろうか。 

上を向いて目標高く生きているだろうか。 

まだまだ人生半分もいってないだろうし、しゃぼん玉を打ち上げてやろうかとフツフツと熱い思いが湧いてきた正月でした。 

 

心の中で知らず知らずのうちに叫びたかった思いをカラオケで発散して自分の気持ちに気づけました。 

 

みなさんの人生のテーマソングは何ですか? 

 

心の声に正直に生きたいですね。 

悲しみサンタと未来サンタ

12月は一年で一番慌ただしく日々が過ぎる気がしますが、その中でクリスマスの予定もみなさん大事にしているのではと思います。 

僕も12月に入ってすぐの辺りに今年のクリスマスは元嫁さんとケーキでも食べれたら最高だと思い、誘ってみたところ(仮)のOKをいただけていました。 

しかし、先日確認してみたところあまり乗り気にならないとのことで(仮)からナシになってしまいました。 

そりゃあそうかと納得できるし、僕の元嫁さんに対する思いと元嫁さんからの僕への思いには違いがあるのだと再認識しました。 

クリスマスソングで一番に思い出すのはいつも、B’zいつかのメリークリスマスです。 

僕にはがむしゃらに追いかける夢はなかったが、2人でいると何もかもがきらめいて見えていました。 

あの穏やかだった日々の元嫁さんの笑顔としぐさは、ふとした時に思い出し、僕は立ち止まったままだということに悲しくなります。 

一方で元嫁さんの方は新しい出会いもあったようで毎日楽しく穏やかに暮らしているようです。 

僕の方はいい人がいないわけでもないが、現実的な考えをすると、その人との恋は叶わないのではないかと臆病になります。 

恋人というくくりで考えなければ幸せな付き合いで居られるのではと思ってきました。 

お互いを思う気持ちだけでもいいじゃないかという考えに変えてみると心が楽になり開放的になれます。 

視野を広く、自分の感性を信じて、日本のどこへでも行ってみようという気持ちを持てたらなあと思います。 

日本にとどまっているのは、きっと日本が好きなんだと思いますね。 

 

クリスマスまで1週間です。クリスマスは一人でケーキを食べようかな。昔ホールケーキを実家の自室で2人でがぶがぶと勢いよく食べ尽くしたあの夜に乾杯🎅 

幸せとは

昔の自分と今の自分の違いは何だろうかと考えてみた。 

自分の弱さ、脆さゆえに調子を崩した時、そこから立ち直ろうという気持ちに直ぐなれて行動することができている。 

多くは人付き合いの中で理不尽なことをされて頭にくることが僕の体調を乱してきた。 

気にするなってとよく言われるが気になるものは気になるししかたないことで。 

真面目すぎると良くないとか優しすぎると良くないとか見たり聞いたりするが、僕自身は真面目すぎでもなく、さぼることや妥協することもできるし、優しすぎでもなく、自己中心的な部分が多い人間である。 

何に頭にくることが多かったかというと、それって相手が僕だからそういう態度でそういう言い方なわけでしょ?という場面が多かった。 

普段人に気をつかうことができている人が、僕に対しては人を見下すような言い方で突っかかってくる。 

はて?いつからあなたは僕に敵意を? 

きっと言いやすい空気を僕が持っているのだろうとは前から思っていた。 

僕のことをある程度知っている人は僕が心を閉ざすとそういう人とは関りを断つ性格だとわかっているだろう。それは多くの人が同じであると思う。 

その陰で怒りをぐっとこらえて時には涙を流すくらい悔しい思いをしているということをわかってほしい。他にも悔しい思いをする人が減る為に。 

心の傷は消えないもので考えたくなくても頭に浮かんできてしまう。 

その時の心のよりどころは必ず持っておいた方が良いだろう。 

信頼できる人が居て本当に良かった。 

その人が音楽を聴くのもいいよと言ってくれた。 

この前美容院に行ってきた髪を嬉しそうに見せてくれていい色だねと話した。 

その人はいつもより柔らかい表情に見えた。 

いつもの見慣れた部屋着姿が僕を落ち着かせた。 

その人がインフルエンザ予防接種をしてきたと言ったのを聞いて辛い思いはしてほしくないと思った。 

気が付くと自分より彼女の平穏を願っていた。 

その人は10年共に暮らしたパートナーだった。 

その人がいい曲だと教えてくれた曲はbacknumberの瞬きと言う曲。 

幸せとは星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく 大切な人に降りかかった雨に傘を差せることだ。 

 

大切な人に守られていたことに感謝して幸せをかみしめています。 

近況報告

就労継続支援B型事業所に通い始めて一ヶ月が経ちました。 

作業は注文の弁当の盛り付けや、自社製造のシードルのラベル貼り等を行っています。 

利用者は19歳から70代までと幅広い年代層です。 

みなさん何らかの障害を持っているのだが、特にどういう障害をお持ちなのかは聞かずに関わってきました。 

会社自体もともとがサービス業の企業なので、健常者、障害者いろいろな人がいるがみんな同じ人だから分け隔てなくおもてなしをしたいという思いがある事業所です。 

しかし、実際一ヶ月通ってみて、利用者側からスタッフの合う合わない、利用者間の合う合わないはやはりあるようで、どこの世界も一緒だなとまた思っているところです。 

僕はそういうことに関しては鈍感なふりをするようにして陰口にはできるだけ入らないようにしています。 

一時期、生活支援員や職業指導員で、スタッフ側の立場として働くことに興味があったが実際に利用者とスタッフの関りを見ると障害を持った方は想像以上にナイーブであることがわかり、僕自身も鈍感なふりをしてもナイーブな部分は捨てきれないので、やりとりで神経が擦り減ってしまうなと思い、向きではないかなあと思いました。  

管理者との会話の中で、B型からのステップアップで、この会社に就職となることも可能なのかと聞いたら、それは非常にあることだと言われ、僕的には会社の理念にも共感ももてるし、昔からプライベートで利用していて大好きだったこの施設の社員になれることを目標とするなら毎日の作業の励みになると思い、自然に体の安定に繋がるのではと思っています。 

40代からの成り上がりとは言いすぎかもしれないが夢はでっかく持とうかなと思ったりしている日曜の午後です(^^) 

死について考えてみた

よく人は人生はあっという間というが、苦悩に満ちた日々を送っている人はそんなことを考える余裕はないだろうし、実際僕も20代の苦悩、挫折、自分の未来への不安に支配されていた時は生きることがこんなにも辛いものかと苦しかった。 

処方された眠剤精神安定剤を処方量通り飲まなかったことがあった。これでどうなるか、もしかしたら楽になれるのかと試したこともあった。そんな状態でも死への恐怖はあった。薬は処方通りの服薬の必要性があることは間違いない。

今僕が死への恐怖、生きることへの未練があるかというと、ほとんどないのが正直なところで普通の人はずっと家族と一緒に居たいし、まだまだやりたいことがある、死ぬ時って苦しいのかどうなのかわからないし怖い、まだ死にたくない。と思いそうなところですよね。 

この文章を書いている僕は今、鬱なのかな?とふと思いましたがそんなに落ち込むような出来事はなかった。

僕が今までで一番死への恐怖を感じたのは小学校真ん中くらいだったと思う。同級生の女子がノストラダムスの大予言って知っている?1999年に人類が滅亡するんだよと教えてくれて、その時はそんなこと本当なのか信じないで聞いていたが、後日気になって夕食の時、両親に人類滅亡ってあるの?と聞いたら、予言が当たるか当たらないかわからないけどそういう話はあるよ。と言われた夜に、布団に入ってものすごい恐怖心に襲われ胸が痛くなった。大人が言うのだし本当だろう、さっきまでの楽しい晩御飯にも限りがあるのが悲しいし死ぬということが絶対に嫌だった。 

その後、平穏に過ごせてはいたが少年の成長過程に影響のあった話だった。 

自分で言うのもなんだが素直すぎる性格を持った僕には、気にしたってしょうがないよ、そんなのでたらめだよと明るく言ってほしかった。 

 

今生きることに目標がないわけでもなく、健康管理に気をつけていないわけでもない。ほどほど長生きしたいと思う。ただ、未練はない。 

 

死ぬことに恐怖心がないというのはどういうことなのか。そりゃあ事故や大病して痛い思い、苦しい思いはしたいとは思わない。 

 

死ぬことに恐怖がないのは年を取ったからなのか、それとも守るものが無いからなのかもしれない。 

 

元パートナーも今幸せに暮らしていてもし僕が亡くなっても大丈夫そうと思える環境にいるから僕は安心なのかもしれない。 

 

もう一度守るべき人を見つけたら僕はもっと強くたくましく生きなくてはいけないと力が湧いてきそうだ。 

 

愛されもしたいが愛したい。命を大事に思う気持ちをもう一度僕に下さい。 

                                親愛なる人へ。