春来たる君の軌跡

統合失調症を発症するも回復し、日々前向きを目指しているお兄さんです。

死について考えてみた

よく人は人生はあっという間というが、苦悩に満ちた日々を送っている人はそんなことを考える余裕はないだろうし、実際僕も20代の苦悩、挫折、自分の未来への不安に支配されていた時は生きることがこんなにも辛いものかと苦しかった。 

処方された眠剤精神安定剤を処方量通り飲まなかったことがあった。これでどうなるか、もしかしたら楽になれるのかと試したこともあった。そんな状態でも死への恐怖はあった。薬は処方通りの服薬の必要性があることは間違いない。

今僕が死への恐怖、生きることへの未練があるかというと、ほとんどないのが正直なところで普通の人はずっと家族と一緒に居たいし、まだまだやりたいことがある、死ぬ時って苦しいのかどうなのかわからないし怖い、まだ死にたくない。と思いそうなところですよね。 

この文章を書いている僕は今、鬱なのかな?とふと思いましたがそんなに落ち込むような出来事はなかった。

僕が今までで一番死への恐怖を感じたのは小学校真ん中くらいだったと思う。同級生の女子がノストラダムスの大予言って知っている?1999年に人類が滅亡するんだよと教えてくれて、その時はそんなこと本当なのか信じないで聞いていたが、後日気になって夕食の時、両親に人類滅亡ってあるの?と聞いたら、予言が当たるか当たらないかわからないけどそういう話はあるよ。と言われた夜に、布団に入ってものすごい恐怖心に襲われ胸が痛くなった。大人が言うのだし本当だろう、さっきまでの楽しい晩御飯にも限りがあるのが悲しいし死ぬということが絶対に嫌だった。 

その後、平穏に過ごせてはいたが少年の成長過程に影響のあった話だった。 

自分で言うのもなんだが素直すぎる性格を持った僕には、気にしたってしょうがないよ、そんなのでたらめだよと明るく言ってほしかった。 

 

今生きることに目標がないわけでもなく、健康管理に気をつけていないわけでもない。ほどほど長生きしたいと思う。ただ、未練はない。 

 

死ぬことに恐怖心がないというのはどういうことなのか。そりゃあ事故や大病して痛い思い、苦しい思いはしたいとは思わない。 

 

死ぬことに恐怖がないのは年を取ったからなのか、それとも守るものが無いからなのかもしれない。 

 

元パートナーも今幸せに暮らしていてもし僕が亡くなっても大丈夫そうと思える環境にいるから僕は安心なのかもしれない。 

 

もう一度守るべき人を見つけたら僕はもっと強くたくましく生きなくてはいけないと力が湧いてきそうだ。 

 

愛されもしたいが愛したい。命を大事に思う気持ちをもう一度僕に下さい。 

                                親愛なる人へ。