ふと一日の振り返りをしたり、気分転換をしようと音楽を聴いたりするために僕はパソコンを使うことが多い。
大切なことに気付く場所はデスクの前ではなくて、いつも青空の下だった。という旅人もいるだろうが、僕が大切なことに気付くのはパソコンの前が多い。
僕は何を欲しているのか
誰を愛しているのか
どう生きたいのか
考えたり感じたりするのに、このブログ作成を使っている。
元嫁さんのことを書いて、元嫁さんも読んでくれて僕の思いのたけを伝えることができたのも本当に良かった。
それは復縁できたとかそういう話ではないのだが、君の為に生きたということをわかってもらえて喜びを感じることができたからだ。
僕の人生のバイブルにしている高橋歩さんの本にこういう言葉がある。
誰かの「ひとこと」で、急に幸せな気分になるときがある。
誰かの「ひとこと」で、完全に人生が変わる人もいる。
誰かの「ひとこと」を支えに、一生を生きていく人もいる。
ヒトツヒトツ ノ コトバ ニ アイヲ。
すっごく難しいけど、
それが一番シンプルで、一番大きな優しさの表現方法かもしれない
この6行の文章が僕のブログで伝えたいことや、日常で伝えたい言葉の参考にしているものだ。
世の中には無数の書物があり、全く新しい表現をするのは難しいかもしれない。
でも僕だからできる表現もきっとあるだろと思うし、新しいものもまだ生み出せるはずだと思い、パソコンに向かっている。
あの日、高橋歩さんの本に出会ってから僕の人生は大きく変わった。
僕の過去ブログにある、ターニングポイントの辺りにその本に出会った。
感受性が強い時期で、その本の言葉のように、男として仕事への取り組み方はこうだ!
時間の使い方、人生の向き合い方はこうだ!など頭の中で常に考えていた。
仕事の難しさを体感しながら様々なストレスの中で自分というものを確立しようと必死だった。
世の中の同世代では大学生で合コンを楽しんだり、社会人で仕事を始めて3年目くらいで慣れてきて楽しい時期を過ごしている人が大半であろう時代だ。
中には僕と同じような考えで生きていた人も少なからず居たとは思う。
僕は背伸びをしすぎていたのだろう。もっとゆっくり成長すればよいものを先急いでしまった。
何のものでも度を越えるといけないとは本当のことだ。
僕はパンクしてしまった。
素直すぎてしまったのかもしれない。
もっと適当に、ちょうどよく物事を取り入れることができていたなら。
僕が高橋歩さんの本の最後の最後の方の一節に気付いたのは病気になって数年後にもう一度本を読もうとしたあの時だった。
この本ほど身勝手な本はない。
この本に書かれていることを、そのまま信じないほうがいい。
書かれていることは、すべて逆の意味かもしれないから。
ある島国に暮らす老人の言葉
と書いてあったのだ。あの頃この一節に気付いていたならばそれほど本にのめり込まなかったのかもしれない。
しかし、今40代になり心の奥底にあるのは高橋歩さんの本の言葉たちであり、それは今でも心を熱くするもので、僕には必要なものであるに違いない。
僕の人生で出会うべくして出会ったものだと思う。
統合失調症の原因は今の医学でも解明されてはいないが、運命というものは僕はあると思っている。
今、僕は運命でこのような形で自分を表現している気がする。
僕が高橋歩さんの本の言葉で印象に残っている言葉がある。
本当に強い人って、あったかくてやわらかいんだよなあ
この一言で僕がイメージしたあったかくてやわらかいひとに僕は近づけているのかな
僕も誰かの中で生きる表現者になりたいな。
ゆっくりやっていくぞ、またね。