春来たる君の軌跡

統合失調症を発症するも回復し、日々前向きを目指しているお兄さんです。

24歳の出来事

妄想は続いていた。職場では機械のメンテナンス等を毎日行うのだがその時に出る金属の擦れる音で僕は同じ職場の違う作業をしている社員と会話ができていると思うようになる。カンカンカンカンカンカンカン、いいおどご(男)だな。に対してガッガッガッガッガッガ、今日もいいな。と作業の音でやり取りできていると勝手に思っていた。 

朝礼で並んでいると後ろから小さな声で、いいおどごだ。とシーンとしている時につぶやくように聞こえる時も出てきて愛知時代を思い出すようになっていた。 

工場建物の改装工事があった時は、同級生が下請けで来ている妄想も始まり、実際に見たわけではないのだが、僕の仕事に対して扉を開けて頑張れよー!!と同級生が喝をいれてくれた幻聴もあった。 

職場に張り出してあった班長や課長の名前の組織図を見ては、今までのお世話になったことがある方々と同じ名前や苗字で形成されていると思い、僕達は何か特別な組織的な観察対象に選ばれているのだと思うようになる。 

観察対象は家に居ても続いていると思うようになり、国会中継を見ると議員達も僕の日常の様子を中継で見ながら楽しみながら議論している、バラエティー番組を見ると観客も出演者も僕の反応を見ながら収録を行っている、もしくは実はリアルタイム収録を僕を見ながら密かに行っている。と思うようになる。 

CMもリアルタイムで僕に向けて作られてどんどん商品も出来ている。スポーツニュースを見ると女子アスリートは僕の為に成績を上げてインタビューも僕にアピールするように応えているというような凄まじいプラス思考状態に入っていた。 

この病気は被害妄想もあるのだが、誇大妄想もあります。自分には特別な能力があり、偉大だと思うこともあります。自分の考えが他人に知られているというサトラレ体験も強くありました。サトラレではテレビを見る際にタレントに失礼のないように気を使いながらあまり感情を出さずに見たり考えたりするのが辛かったです。 

このような体験を送っていると当然家族は異常に気付いたのか、母から入院しながーと言われました。その時の母には切羽詰まった感を感じられなく入院すると楽しいことでもあるのかと少し浮かれた気分でいました。 

会社は早退したり休養したり自由にさせてくれました。医師の診断書の提出を求められ、初めて「統合失調症ですねぇ」と診断を告げた主治医は僕が初めて精神科を受診した時のあの髭の口数少ない優しい先生です。先生にも誰にもこの時の妄想体験は話していないで暮らしていたのに正確な診断がついたと思っています。 

会社に診断書を提出した時は当時課長は聞いたことのない病名だったようで調べてくれたようでしたが、まだ仕事はできるというように思った為に直ぐには退職せずで、ちょうど作っていた製品が変わり新しい部署へ配属になるときでしたので、新たなスタートでした。 

新しい所では指先を使う細かい製品で、単調な繰り返し作業でした。今思うとこの頃体調は良くなく薬は飲んでいたが脳は疲れ切っていたと思うし何をやっても駄目だったと思います。 

結果一ヶ月も持たず会社を退職することになりました。 

書ききれていない部分はあるもの、24歳の楽しい時代は病状がはっきりと出だした頃であり、闘病が始まる前に仲間と飲みに行った時代でもある。 

家族にも迷惑を多々かけたし恩返しなければと思いながらできずも現在41歳の夏を楽しめていることに感謝します。