春来たる君の軌跡

統合失調症を発症するも回復し、日々前向きを目指しているお兄さんです。

断薬後、妄想の始まり

運命はある日突然やってくる。 

ハローワークからおすすめのような形で求人票が届いた。今はこのようなサービスを行っているかわからないが当時、工場経験者とか年齢も若い等で企業側から頼まれたのかハローワークでの雇用促進なのかで当てはまったのであろう。その企業が僕が前職で物流のピッキング作業をしていた取引先の企業であった。準社員の募集だったが全く悩まずに応募することにした。 

面接では前職で御社の仕事に関することをしていたし、実際に本元の仕事をしてみたくなりまして応募しました、と話した記憶がある。特に退職理由も聞かれず通院していることも話さなかった。どういう検査か忘れたが適正検査もした。覚えているのは担当してくれた事務員が高校の同級生の女性だったことでびっくりしたがコミュ障で会話にはならなかったけど向こうは僕のことを覚えていてくれたことが嬉しかった。プリズムというものを加工する部署に入ってもらうかもということだったが全く分からない分野だけど自信しかなかったのでやってみたいと思った。数日後、採用の電話を受けて入社することになる。 

出勤初日は班長が朝礼で僕を紹介してくれた。今までの職場と違う年齢も様々な男女いる職場でアットホームな雰囲気かなあという印象を受けた。プリズムを加工する部署でわりかし体力も使うような場所に配属されたが教えてくれる先輩が気さくな雰囲気の先輩ということで仕事しやすかった。ガチガチに力入っていたら上手くいくものもいかないからとリラックスさせてくれたし自動車工場にいたならこういう機械操作もできるだろうと自信を持たせてくれた。何よりびっくりしたのが僕が高校の時付き合っていた愛知に行くきっかけを作ってくれた元カノとその先輩が少し前に少しの間だけど付き合っていたということが分かった時は何かの縁を感じてしまった。ゲームと車が好きと聞いていたし、住んでいる地域も聞いていたのでもしかして・・と聞いたところそうだった時は世の中の狭さを感じました。職場には他にも高校の同期が正社員でいたし遊んでいる女の子の話をしたり、どういうとこに飲みに行っているのか話したりして楽しく仕事ができていました。夜勤もやることもあったが特に負担を感じずに仕事もプライベートも楽しんでいた時期です。 

ある日仕事中に電話が鳴ったので隙をみて出たら通っていた精神科の看護師からでした。最近通院来られていないけどどうですか?という確認でした。僕は仕事も順調で鬱気分も消えていたので大丈夫ですと伝えた。この時の判断が後で大きな反動で返ってくるとは思いもよらないでいた。 

ある日の早朝5時頃だったと思うが母が台所を掃除機をかけていたのに僕がうるさいんだよ!やめろよ!と怒鳴ったことがあった。初めてそんな声をあげてしまったし母はどうしてしまったのかと不安そうな顔をしていた。音に敏感になっていたし何かにイライラしていた。母は僕の部屋に来てお前は今仕事できる状態じゃないと言って休めと言ったが僕は仕事の責任感を感じて休めないと思っていた。何かに頼りたくて音楽を聴いた。Mr.Childrenケツメイシのアルバムを流した。コンポから聞こえる歌にリアルタイムで僕の為に曲を演奏して歌って届けているというありえない妄想だがその時は本当にそう感じて涙を流して聞いていた。心が落ち着いてこの時も音楽の力は凄いということを思った。そして監視されている妄想があったのもこの頃である。職場と家にいる様子を監視されていてその様子を世界の人に中継で伝えられていると思い始めたのだ。アーティストの演奏の後まだ中継は繋がっていると思い保育園からの友達に電話している。何か隠し事していないか?と中継のこと知っているんだぞという風に話したら「してねーじゃよ」と言われた。この時は本気で思ったことを聞いたのだが後から飲みに行ったときの話では朝の忙しい時間にかけてきて何言ってんだ、おかしくなってしまったなと思った、と言われた。迷惑かけたけど友達のままでいてくれているみんなには感謝しています。この日の朝は結局仕事を休む電話を入れて課長に「母が仕事に行くなと言っているので休みます」というと面白いやつだなと言われただけですんなり休ませてくれて、次出社した時には大丈夫かと声をかけてくれた課長にも感謝しています。 

この後ますます妄想は続くのだが一度文章を終わります。統合失調症は人それぞれ症状と回復への経過が違います。100人に一人という割合で発症する脳の病で身近に同じく闘っている人も多くいると思います。人それぞれ個性があるように病気の人も同じく個性であり尊重すべき部分は同じなので関りを持った際には寄り添うような気持で優しく接したいと僕は思います。