春来たる君の軌跡

統合失調症を発症するも回復し、日々前向きを目指しているお兄さんです。

あの日の覚悟

新しくできたこの事業所には様々な障害を持った働く意欲のある人たちが集まった。 

働きたくても一般企業では難しかった人、長く休職していたがこの機会にということで働き始めようとした人たちで希望に満ちあふれていた。僕もその中の一人で心機一転この会社で成果を出したいと意気込んでいた。 

椎茸栽培の事業所だったが入社は1月の雪深い中で、椎茸のハウスはまだ建立工事に入っていなかった。初めの頃は仕事の量もほぼ無くゆっくりと過ごす時間が多く、それが僕にとっては負担になった時期もあった。みんな同期なので気兼ねなく話せばいいものを上手く輪に入れずに悩み体調がすぐれずに休んでしまったときはスタッフと面談の時間を作ってもらい体調回復に向けてくれる等配慮をしてもらった。 

そんな悩んでいた時を忘れるほど僕は会社のムードメーカーになれた。当時はセクハラなどを気にしないでバカな冗談などを話しみんなもその話を喜んで笑ってくれたし、仕事中にこんなに話をしてもいいものなのかというほど明るい職場だった。 

そんな僕のことを気にしてくれたのか、ある日ソラからメール交換しないかと言われる日がやってきた。 

ソラは僕の印象ではいわゆる控え目な子というイメージだった。僕は飲み屋さんにいるきらびやかな女性と話すことが多かったが、どこかでソラのようなおしとやかな女性を好んでいたのだろう。きっと勇気を出して交換しようと言ってきてくれたソラに喜んでメールするよと言って僕たちは毎日メールするようになった。 

会社でも話すし帰りの電車の中でもメールするし帰宅してもメールするし電話もするようになっていた。 

色々と経験してきた僕だがソラは僕と正反対なところがあり、芯が強い女性だった。ソラは高校を中退したが専門学校に入って勉強を頑張り数学などわからないところはお父さんに教えてもらって当時の大学入学検定試験を合格した努力家で物事のだいたいを一人で乗り越えてきた人だった。心は純粋で繊細な部分はあるが自分というものをしっかり持っている女性だった。27歳まで居酒屋にも行ったことがなかったというソラを大事にしなくてはと思っていた。 

いつもと変わらなかった世界があの出来事で大きく変わることとなる。 

2011年3月11日。東日本大震災 

あの日僕たちは作業場にいた。地震だ!でかいぞ!!社長の大きな声でスタッフは身体障害の方のもとへ向かい身の安全を守った。事業所は停電になり作業はできないし、それよりも揺れの大きさに一同騒然としたあと無事に帰ることができるか不安に包まれていた。ソラは動揺していて少し会社で気持ちが落ち着くまで休んでから帰ることにした。僕はスタッフが同じ方面だったので車で送ってもらうことにした。家に着いて暗い中家族と懐中電灯で過ごした。弟は大学の卒業の集まりが青森市であってその最中の震災だったので帰宅できずに父が迎えに行って二人不在だった。愛知の友達から連絡があって大丈夫かと心配の電話をもらったが僕はテレビを見られなかったので事の悲惨さはまだ理解していなかったし凄い事態になっているのだろうと想像しかできなかった。 

次の日の朝ソラと話ができた。ソラは僕の声を聞いたら安心したと言って泣き出した。暗くて心細かったと言って初めて泣いた。ソラにはお父さんも家族も居るだろうしまさかそんなに不安な状態だったとは思わずいたのでそんな気持ちで僕のことを思ってくれたのかと思い、ソラにとって何ができるかと考えた瞬間だった。大丈夫だよと安心してというと落ち着いてくれた。 

この電話から数日後、僕は気持ちのままソラの為に僕ができることをして守りたいと思い告白して交際をスタートさせた。 

あの日様々な物語があっただろう、中には命を失っ方々もおられる大震災だった。その時に僕は一人の女性を守ろうと決めた。あの時の真摯な気持ちを執筆しながらもう一度思い出すことができた。大切な人の為に生きます。