春来たる君の軌跡

統合失調症を発症するも回復し、日々前向きを目指しているお兄さんです。

臨床治験体験記

僕は32歳の時に臨床治験で入院している。統合失調症の新薬開発に協力しようと病院の張り紙を見て応募したのだ。これは治験コーディネーターが付いてくれて協力してくれるもので、有償のボランティアのような感覚で参加することにした。治験を経て薬が認可されると、その新薬を一年間無料で服薬できることと、この新薬の開発に治験者として参加したことに誇りを持てるということも参加理由の一つであった。 

ソラは僕が入院している最中は実家に戻ることとした。ソラの性格上きっと心配で一人で暮らすのは落ち着かないだろうと思ったし、僕もその方が安心して入院できた。 

治験開始当日、僕の主治医が不幸があったということで初めての主治医が担当となり問診がスタートした。個室の病室だったが部屋の壁紙が異常に見えることはないかや、性欲処理は普段どうしているかや、簡単なことわざクイズなどに答えた。若い先生だったが文字を書く手がやたらと震えているので、僕の方から手の震えを質問した。先生は職業上良くないのだけど昔からこうなんです。症状名がつく震えなのだが、小さい頃お盆のお茶を運ぶ手が震えすぎてお客さんにこぼしてしまったんですよと笑いながら話してくれた。それを聞いて安心したがこの治験はそれほど緊張するものなのかと誤解するところだった。 

次に採血をされるのだが担当の看護師がやたらと美人でしかも何回も採血を失敗されて、これも何か理由があるのかと思ってしまった。見かねた治験コーディネーターの方が代わりに採血してくれたが、この重要な採血を慣れていない人にやらせるなんてと彼女は怒っていた。 

そんな始まりだったが、まずは今まで服薬していた薬を体内から抜けきるまで断薬することから始まる。たしか4日間かけて抜いたと思ったがそれまでは食事の時間くらいしか楽しみはない感じだった。喫煙所では様々な入院患者と出会ったが、そこには入居施設でトラブルを起こしてパトカーでやってきたという青年や、職場での過労で倒れて職場から救急車できたアルコール依存症など様々な人がいた。僕が20代の時に入院した病棟だが当時との違いは認知症と思われるご老人の方々がたくさんいることだった。 

眠剤も抜いていたので夜中眠れないのがものすごく辛かった。僕の隣の個室からは老人の苦しそうなうめき声が夜通し聞こえるし、昔は喫煙所は閉鎖時間は無くたむろっていたがこの時には睡眠時間確保の為に夜間は閉鎖するようになっていたのでますます辛かった。 

薬が抜けた5日目からいよいよ投薬が始まる。薬は4パターン用意されていて、治験薬がひとつ、治験薬の少量がひとつ、統合失調症の治療薬ですでに流通されているものがひとつ、全く薬の効果のない偽の薬がひとつである。偽の薬はプラシーボ効果と言って効き目のない薬でも患者さん自身がこの薬は効果があると思い込むことで症状が改善してしまうことがあるという薬です。この4パターンから治験者にひとつを投薬するのだがこの割り当ては製薬会社と主治医しか知らない事になっているので、僕は何を投薬されたかは分からない。 

記憶にあるのは投薬後、胸の辺りがゾワゾワして何か体に変化が起こった感覚があり、今まで薬を抜いていた不安から放たれて嬉しさのあまりソラと実家に電話したことだ。ソラと話すと涙が出てきたし、ソラは僕が治験成功しそうと言うと、そうなんだね、よかったねと言ってくれたが、実家の母に成功したかもと言うと、なんか感じが違うと言われて我に返った僕は何か反発したような対応をしたと記憶しています。次の日朝食を食べてまた治験薬を渡され飲んだ後、様子がおかしくなりました。その日病院の外では何か工事をしていて機械音がしていました。その機械音が気になり始めて、この病院に何か意図的な工事を行っている。そして、外は雨が降ってきて雷も鳴ってくると、それは人工的に起こしている雨と雷だと思い始めてきた。外の工事の様子を見たいが建物の構造的に窓からは見えずにいて、もどかしくて部屋と廊下を行き来していると、普段病棟に現れない主治医が険しい顔で急ぎ足で歩いてきた。僕は一瞬、監視カメラで僕の挙動を見ていた主治医が異変に気付き病棟へ来たのではないかと思ったが、僕からは主治医に話しかけずにテレビのある食堂へ行くことにした。 

そこには一人の患者がテレビを見ていたので僕も近くに行って見ることにした。食堂のテレビは大きく迫力があるのだが、たしか病院の番組か何かだったと思う。その番組を見ていると、この世界と繋がりを感じて内容に引き込まれそうになっていき、この番組も治験と関りがあるのではと思うと、気づくと心臓がバクバクしてきて過呼吸になっていた。僕と一緒にテレビを見ていた人が看護師の詰所に助けを呼びに行ってくれた。主治医を先頭に数名の看護師が走って駆け寄って来た。僕は立ち上がっていたが逃げるように背を向け倒れこむと、ここは病院なんだよ!という声と共に布の様なものに乗せられて担いでもらい詰所の近くの病室のベッドに横になった。それと同時に服を脱がされ周りに看護師たちが何人も見守る中オムツを穿かされ上半身には何か重々しい器具を装着された。その一連の流れの速さと看護師達に周りを囲まれている状況が何故か笑ってしまい、看護師に何笑ってんだよと注意される自分も可笑しくなり必死に我慢した。 

治験薬は2回投与されて終了となり、医療保護入院に切り替わることとなった。実家にも連絡が行ったらしく次の日母が病院に駆けつけてくれて、ソラとソラのお母さんと弟さんも見舞いにきてくれた。 たしか四肢拘束もされていたと思うのだが、みんなには辛そうに見えていたようだ。ソラも何とも言えない表情で見てくれていた姿は今でも覚えている。 

治験コーディネーターの方はプラシーボの薬が当たったのかなあと言っていたが真相はわからない。ただ断薬した状態になってこういう結果になったというのは統合失調症の治療を今まで正しく行えていたということで病院側としては良かったのではとは言っていた。 

この後3週間程で体調も戻り退院したのだが、その回復に至るまでは様々な体験を体と脳で起こすのだがここで一度文章を終わります。  

次回もよろしくお願いします。