春来たる君の軌跡

統合失調症を発症するも回復し、日々前向きを目指しているお兄さんです。

ソラの優しさ

ソラからもらったバレンタインのお返しに、僕もチョコを買って渡したことがある。カラフルな個包装の量がたくさん入っている外国産のチョコをお礼で渡して、僕も味見をさせてもらったのだが、お世辞にも美味しいチョコではなかった。ソラも確かに美味くはないと言っていたそのチョコを、無くなるのが寂しいと言って毎日一つずつ食べているよと言ってくれた時は、ソラのような優しい子と付き合えて本当に良かったと思った時でした。 

会社のみんなも僕ら二人の交際を応援してくれていた。それにもかかわらず僕は、他の同僚やスタッフの女性と話すのが好きで、ソラの気持ちも考えず楽しんでいたら、ソラが具合を悪くしてしまったこともあった。女心にはこの時から鈍感で無神経なところが僕にはあった。 

離婚という結果になったのはこの頃から何も成長していなかったからなのかもしれない。 

当時僕は免許がなくデートはソラが僕の家に来てくれることが多かった。夜遅くにソラ

が遠い家まで帰るときに運転の目を覚ます為に、窓全開にして帰宅したなどを聞いて、僕は早く免許を取り直したいと思った。時期が来て自動車教習所に通えるようになった時もソラは僕を支えてくれた。1日6時間授業を受けてヘロヘロになって帰宅した時のソラから、ほんとに頑張っていて偉いよと労いの電話では泣きそうになるほど嬉しく、もっと頑張る意欲をもらったし、仕事と教習所を両立できていたのもソラのおかげだった。 

公安試験の当日は、やれるだけのことをやったと自信があった。もともと免許があったのだから落ちたら恥ずかしいぞと言う人もいたが、一発で合格でき、父に電話報告したらよくやったと喜んでくれて、その日は寿司など豪華にしてくれた。 

僕は母が乗っていた軽自動車を譲り受けて、その車で通勤して帰りにソラとデートなどを楽しんだ。初めて助手席に乗ったソラはほんとに大丈夫なのかとソワソワしていたが次第に落ち着いてくれた。ソラはいつも助手の役目を果たそうとして、僕の隣で眠ったことはない。 

桜まつり、奥入瀬渓流ねぷたまつり、海岸、紅葉、氷の滝、春夏秋冬の思い出にいつもソラがいた。ドライブ中に喧嘩したことは一度もなく車内ではいつも色々な会話をして、帰宅するまで幸せな空間をソラも作ってくれていた。 

 

就労支援A型のほうは僕が一般企業に就職が決まり、ステップアップということで二年程で退職することになった。 

一般企業に対するブランクは大きいものがあった。A型事業所の同僚の年上の人には、あなたはどこにいっても通用しそうと言われていたが、新しい職場では僕の社交性や明るさを出せずに、また人間関係でつまずいた。 

何社か入社しては退職を繰り返し、職場での人間関係の悩み相談はスナックのママなどに話に行くようになる。ソラにももちろん悩みは話していたが、人生の先輩で色々なお客さんを相手にしてきたママには説得力があった。中には他のお客さんで腹が立つことを言ってくる人も少なからずいた。それでも僕が二度と話に行きたくないと思わなかったのは、頼るところがそこしかなかったからであろう。そのママとは今でもたまにLINEをしているが姉のいなかった僕にとっては本当の姉のような存在でいてくれます。 

 

定職に就かないで夜に出かける僕に、家族は苛立ちと心配をしたのだろう。一人で暮らしてみることの大変さをお前はわかるかと。それよりも実家にいて飲みに行くのを辞めて貯金でもしたらどうだと言われた日がある。 

僕は反発の気持ちで、いいよ一人で暮らすよと答えて実家を出ることになる。 

そうは言ったものの一人で暮らす自信はなく、ソラに頼ることとなる。ソラに家を出るから一緒に暮らそうと誘うと、ソラは不安だけどやっていけるよねと言ってOKしてくれた。 

二人で不動産屋を三件回り、最終的には僕の高校時代のアルバイト先の社長が大家をしているアパートに決めた。 

ソラのお父さんにも急ではあるが二人で協力してやっていくのでということで許しをもらい二人のアパート暮らしが始まることになった。 

あの日、実家にいて貯金をするのを選んでいたら、ソラとの10年間の二人暮らしはなかったかもしれない。 

いつのときも人生では選択をする場面がやってくる。その答えが失敗であってもしょうがないと僕は思っている。一度きりの人生だから間違いながら進んでいく。何を選ぶのかが重要ではなく選んだあとどう進むか。重要なのは覚悟なのかもしれない。