春来たる君の軌跡

統合失調症を発症するも回復し、日々前向きを目指しているお兄さんです。

急性期

僕が定期受診していた病院に到着した。この日は夜間診療をしている日ではなかったので緊急外来だったと思う。いつも診てもらっていた先生ではなくて女性の医師が診察してくれた。父が僕の後ろに 居て先生に話していたので何も僕は話さず理由はわからずただイライラしていた。お気に入りだったユナイテッドアローズの腕時計にイライラをぶつけるようにして手で壊してしまった。先生は壊してしまったねぇーと見守りながら声をかけてくれるだけだった。どのように診察を終えたのか記憶がなく気づくと母も到着していて、母の車で父が運転して出発して三人でどこへ行くのだろうと思った。途中コンビニでサンドイッチとおにぎりを買ってくれてそれがものすごく美味しかった記憶がある。どこか県外に行くのかと思っていると、ほどなくして到着した。父が道順を覚えているしこれも打ち合わせ済みじゃないのかと思った。 

どうやら病院に着いたのだと気づくのは遅かったが男性の看護師の方についていくと鉄でできた扉の部屋に布団と枕と便器だけがある個室の部屋だった。両親は何か悲しげな顔をしていたが、今夜ここで寝るのだと思った。部屋には電気がなかったし寝るしかないので眠りについた。部屋には時計もない。朝になると扉の窓から見える外の様子を不思議に思いながら見ていた。人がどこかへ向かい歩いていくし何か大きなものを運んでいる人もいるし。一連の流れが終わると僕の部屋にもご飯がきた。食堂でご飯をみんなは食べているんだと気づいた。ドアの下に隙間が作られていたのでそこから食事を渡されてただ黙々と食べた。 

この意識があるのは入院した翌日なのか数日後なのかはわからない。時間もわからないし日中は布団に座っているだけだった。ある日主治医という人がもう一人の女性医師とともに部屋にやってきた。独特な語り口調の先生でこれはわざとなのかと思ったが様子を見に来てくれることに孤独だった僕は嬉しかった。入院中にこの部屋の名前は隔離室とか保護室という名前がついているということを知った。 

何もすることがなくこの部屋から出してほしいと暴れたのは入院後何日目かはわからないがあの爽快さは覚えている。鉄の扉を思いっきり踏みまくった日がある。出せこら!と叫びながら何度も扉をダン!ダン!と踏みつけて暴れたいだけ暴れた。男性の看護師が4,5人やってきて扉が開いた瞬間に外に出ようとしたが抑え込まれてお尻に注射を打ち込まれて興奮を落ち着かせられた。後から聞いたのだがこの部屋はいくら暴れてもいい部屋のようならしい。ただ自分がケガしないように注意しなければいけないが。 

どれくらいこの隔離室にいたのだろう。一週間は経っていないだろうが部屋から出してもらえる時が来た。看護師がやってきてだいぶ良くなったねと言ってくれた。ずっとブツブツ独り言を言っていたらしいが落ち着いたみたいだった。隔離室を出るとタバコが用意されていた。親が準備してくれていたのだろう。銘柄は僕の吸っていたタバコとは違うがそのタバコを持って病棟内にある喫煙所に向かった。久しぶりに吸ったそのタバコはクラクラしたが生きている感じがした。喫煙所には若い男性や女性もやってきて緊張した。とりあえずそそくさと喫煙所を出て看護師達のいる詰所を眺めたり、テレビを見たりした。特徴的な感じの人もいるし、普通のような感じの人もいる。看護師たちもかっこよくだったり綺麗だったり、この世界がとても新鮮に見えた。そんな病棟の雰囲気も知ることができたが隔離室に戻らなくてはいけない時間がくる。看護師に連れられて部屋に戻ると扉にカギをかけられる。夜になるとまた扉の下からのご飯を受け取り、寝る前になると部屋に看護師がやってきて薬を渡され、大きなやかんの水をコップに入れてもらい飲んで眠る。次の日また時間になると隔離室から出られるという生活を繰り返した。 

いよいよ隔離室から出てずっと閉鎖病棟に居られるようになる。週二回か三回だったと思うがお風呂に入れるのが楽しみだった。買い物に行く人は決まった時間に看護師同伴で売店に行けた。僕はありがたいことに伝票払いにしてもらっていたので親には申し訳ないがおやつやジュース、タバコなどをたくさん買っていた。 

様々な分析をするための面談も行われた。僕はなるべくして入院に至ったのであろう。同じ閉鎖病棟にいた人も隔離室に入らなければいけなくなり入れられる人もいた。僕は二度と隔離室に戻らないように気を付けながら生活していた。 

看護師や看護助手と仲良く話ができるようになったし同じく入院している人の中でも仲良くなった人もできた。ただ患者の中には僕を利用しようとしてきた人もいる。連絡先を交換した人もいるが決していい出会いではなかったという人もいる。世の中には色々な人がいる。知らなかった世界をこの入院で知ることになった。自己防衛は自分でしなくてはいけないと学んだ。 

入院中によく家族も来てくれたが寿司が食べたいと言ったら買ってきてくれるし寂しいのではと思って様子を見に来てくれるしありがたかった。 

外出や外泊をして退院に向けていくのだが外泊した時に久しぶりにお酒を飲んだときに、少し酔いたいなぁと言ったら祖父に何言ってんだみたく言われたのを覚えています。結果ビール一本だけで終わりましたが実家は良かったです。 

当時お世話になった先生や看護師の方々が懐かしいです。

約2か月の入院生活でしたが、僕は32歳の時に臨床治験で入院していてその時の記憶とごっちゃになっているので、臨床治験体験を書く機会があれば後日また書きたいと思います。