春来たる君の軌跡

統合失調症を発症するも回復し、日々前向きを目指しているお兄さんです。

僕とおばあちゃん

退院してどう暮らしていたかというと、おばあちゃんの運転手をよくしていた。おばあちゃんは毎週のように病院へ通っていたと思う。道中の車内では特に話をしたわけでもなかった。今思うとあんなに話す時間があったのになぜ話さなかったのかが悔やまれる。おばあちゃん体調はどうなの?とか、今日の診察はどうだったの?とか話して声をもっと聞いておけばよかった。おばあちゃんは毎回家に着くと売店で買った焼きそばと千円か二千円かを僕にお礼として渡してくれた。おばあちゃんが買ってくれたその焼きそばを昼に食べて無事送迎終了したなあと安らぐ時間が好きだった。 

おばあちゃんはほんとに優しく育ててくれた人だった。僕が中学時代に若気の至りで警察にお世話になった時もおじいちゃんには凄い剣幕で怒鳴られた時、すぐ隣でおばあちゃんはニコニコして大丈夫だよという感じで見ていてくれた。 

そんなおばあちゃんにも申し訳ないことをしたと思うことを僕はやらかしてしまう。とある事件で運転免許証を取り消しになった。両親からはケガもなく他の人にもケガをさせたわけでもないんだから神様は見てくれてると言われ、二度と同じ過ちを犯さないと心に決めた。 

おばあちゃんの送迎もできなくなったし、買い物も乗せて行ってあげられなくなった。おばあちゃんには、はるき車無くなったらほんと不便、全然だめだじゃ。と愚痴を言われた時は申し訳ないなあと落ち込んでしまった。 

おばあちゃんとタクシーに乗った思い出があります。おばあちゃんは運転手さんに気を使って天気の話や畑の話など頑張って話しかけていました。おばあちゃんの中で、タクシー運転手さんと何か話をしなくてはいけないという思いが強くあったのだと思います。その印象が強くて僕が送迎する時はゆっくりしていてほしく話をしなかったというのはおばあちゃんはきっと察してくれているだろうなと思います。 

ある日の夜中おばあちゃんがトイレで倒れおじいちゃんの名前を叫んでいるのに家族が気づき救急車を呼んで運ばれて行きました。そのあと何年も入院したままになるのだが会話もできない入院生活、そして最後の日までそれはずっとだった。 

おばあちゃんがせっかく作った料理を食べずに外食したこと。おばあちゃんが階段を雑巾がけしている時にありがとうの一言も言わなかったこと。体を気遣い調子を尋ね、普通の会話をしたかったこと。おばあちゃんの昔の友達、おじいちゃんとの思い出話など全然聞かなかったこと。後悔してもしきれないことがたくさんある。大好きなおばあちゃんありがとう。ごめんね。その分、家族や大切な人には後悔のないように温かく接して思い出をつくり生きていきます。