春来たる君の軌跡

統合失調症を発症するも回復し、日々前向きを目指しているお兄さんです。

苦悩の愛知

二回目の愛知は中学時代の同期と一緒に行くことになった。 

その友達は本当に心を許している親友かというとそうでもなく、ただ遊んでいたグループの中にたまに居た一人という存在だった。彼は僕が高校卒業して県外に就職するもすぐ退社して青森に帰って夜勤の仕事を二年ほどしていたのだが、その会社にも僕の後に入り共通の話題というのはその会社の社員の話だったりをするくらいだが、なぜ二回も僕の後を追うような就職をするのかよくわからなかった。 

愛知に出発する当日の夜、今となってはわかるのだが家族で晩御飯を食べた後、出発までの時間自分の部屋に一人でいて、その友達と一緒に愛知に行くことを選んだことへの後悔と、なんとなく家から逃げるような心境になっていることを感じて、ほんとにこれでいいのかと自問自答を繰り返していたのを憶えている。 

愛知には弘前から夜行バスで行くことにして、近所の同級生が送ってくれるとのことで、出発時間が近づき荷物を持って下に降りて家族に行ってくるよと言ったが、その声にははつらつとしたものはなかった。 

おばあちゃんが外に出て車に乗るそばまで見送ってくれて心配そうな顔をしていました。 

弘前バスターミナルにつき、乗せてくれた同級生にお礼を言うと元気に手を振って見送ってくれたことには感謝しています。仙台まで行き、乗り換えで愛知行きのバスに乗っていたのだが、僕は心を許していない友達と一緒の生活が始まることに気分が落ち込み、ボーっとバスに乗っていると彼が次降りるとこだぞと教えてくれて、降りて迎えの車があったかどうか覚えていないが入寮する寮にたどり着いたのは昼過ぎだったと思う。 

前回は愛知にある自動車会社の母体企業といわれている会社で期間工として働いていたが今回は愛知の自動車会社の直接の期間工としての入社でした。三日間だったと思うが彼と同部屋で過ごすことになるが、後から聞くと僕はマイナスなことばかり話していたらしい。確かに精神状態は良くなくて、なんかおかしいかもとよく話していたが彼は親身になって聞いてくれることはなかった。その後、配属工場が振り分けられ彼とは別々の寮になり、一人部屋になる。 

工場ではポロシャツを着用が必須とのことを赴任するまで知らなかった為に初出勤の前の日の夕方に買いに行くことにした。寮近辺で服屋も見たがちょうど良さそうなものはなく困ったあげく名古屋まで出ることにした。赴任した町を覚えていないが寮の近くにバス停も見つけられず近所のスーパーにタクシーを呼んで駅まで行くことにした。タクシー運転手さんに最寄り駅までとお願いして、駅に着くと「お金は大事にしなよ」と言われただけのこの一言だけの会話しかなかったが僕はお金が余って街に遊びに行く若者にでも見えたのかと思ったり、一人でストーリーを想像してしまったが、単純にお金は大事にと教えてくれただけかもしれないと今思う。 

名古屋まで電車で行ったが色々なオシャレな店がある中で結局ユニクロのポロシャツを3着買って帰ったのを覚えている。 

果たして名古屋まで出た意味はあったのだろうか・・・ 

初出勤の朝がきて、送迎バスに乗って行くのだがモヤモヤは消えず、工場の説明を受けるミーティング時も緊張が消えず、同期の同じ班の人達や説明をしている担当の方に僕はおかしいのではないかと思われているという被害妄想が出て、昼休憩になって食堂でせっかく同期がいるのだから仲良く話せばよいものをまた前の工場のように離れて座って一人で食べようとすると、気にかけて同じテーブルにきてくれた人がいて少し話をして食べたがコミュ障だったため食べ終わると一人でタバコを吸える所に行って休憩が終わるのを待っていた。 

休憩が終わると詰所で同期達とまた一緒になるのだが何かの恐怖心があって心は穏やかではなかった。 

主に詰所掃除をみんなでやっていたと思うが、後半仕事の配属になり持ち場を与えられたが、今はどういう仕事だったのか覚えていない。二時間くらい仕事をして初日を終えたのだが充実感はなくただ精神状態が良くなかったのだけはわかる。他に覚えているのは同期のみんなはオシャレなポロシャツだったなというのを覚えている。 

今この文章を書いて思い出したのだが、僕はこの工場を二日目で辞めていた。二日目出勤したが胸がハカハカして医務室で横になり休んでいる。当時はまだどこの病院にもかかっておらず持病もなかったが動悸が激しかった。上司も付き添ってくれて一時間くらい休むと良くなったが今は仕事ができる状態ではないということで退職することを決めた。上司たちは特に仕事させないで掃除の時間等が多かったのが良くなかったのかもな等と話していたが、僕は問題は僕自身にあったと思っている。 

退職手続きをして最後に上司から言われた言葉は青森に遊びに行ったときにもしも会ったらよろしくな、でした。工場では二日しかお世話にならなかったが、とても大きな存在の上司でした。ありがとうございました。